さくらができるまで– 私達親子のこれまでの歩み –

無理をしながら幼稚園に通い続けた日々

私は大学を卒業後、2011年に結婚を機にニュージーランドへ移住し、2019年に私の地元である沖縄へ家族4人で引っ越してきました。

沖縄へ帰ってきてから、子ども達は幼稚園に通い始めました。2人とも、発達障害の特性から、好きなものへのこだわりや気持ちの切り替えの難しさ、大きな音や声が苦手といった感覚過敏があります。半年以上経っても子ども達は幼稚園に全く慣れず、毎朝大泣きして嫌がる2人を無理矢理抱き抱えて車に乗せ、園まで連れて行く日々が続きました。

2人は徐々に、彼女らしさ・彼らしさがなくなっていきました。娘はストレスから頭痛や胃痛、胸の痛みが酷くなり、寝込む日が多くなりました。何度も病院へ通い、小さな身体で精密検査を受けました。幼稚園では段々話すことが出来なくなり、身体は強張り、次第に動くことが出来なくなりました。給食を食べることも、トイレに行くことも出来ません。大好きなお絵描きの時間にクレヨンを握ることすら出来ません。家ではよく笑いよく喋る、活発な娘の姿はそこにはありませんでした。

その後、園を退園し、娘は病院で「場面緘黙症」と診断されました。極度の緊張や不安から、学校や会社など特定の場面で話すことが出来なくなるという不安障害の1つで、3年経った今でも、彼女はその症状と戦っています。

ホームエデュケーションという選択

過去にニュージーランドの日本人学校で教員をして、個々の個性を大切にし主体性を育む教育のあり方を見てきていた経験から、皆が同じペースで同じやり方で同じ活動をするという画一的な日本の教育に、私は違和感を感じていました。それから私は、日本と海外の教育システムの違いや、海外における多様な学びのあり方、日本の公教育の現状や今後の課題など、学びを深めていく中で、「ホームエデュケーション」という選択肢が私の頭に浮かびました。ホームエデュケーションとは、国際的に多くの国で認められている、学校には通わず家庭を拠点とし、子供の個性を尊重し、地域の資源を活かしながら学んでいく教育方法です。

我が家の子ども達は、元々興味・関心の幅が広く探究心が強い為、自主性を重んじるホームエデュケーションが合っていると思い、2020年から実践を始めました。

「学校に行くのが当たり前」の日本で、学校に行かない選択をするのは勇気のいる決断でしたが、「子どもの命と子どもが笑顔で元気でいること、子どもが心から安心できる場所で自分らしくありのままに成長して行くこと」が何よりも大切だという思いを夫と共有し、その思いが一致していたことで不思議と不安はありませんでした。

「学校へいく」という世の中の普通に無理に子ども達を合わせるのではなく、将来、子ども達が「生まれてきてよかった」と感じ幸せに生きていけるように、ホームエデュケーションに切り替えることを決断しました。

娘は今年の4月に小学校に入学しましたが、本人の意思を尊重し、現在もホームエデュケーションをベースに、家庭で自分のペースで学んでいます。学校の先生とは定期的に連絡を取り合い、娘の意思で放課後登校をしたり、家庭での様子を報告することもあります。

ホームエデュケーションに切り替えてから

ホームエデュケーションに切り替えてから、子ども達は机の前に座って行う勉強だけでなく、沖縄の豊かな自然の中で海や川、公園で伸び伸びと走り回ったり、動物や生き物に関わるボランティア活動や農業体験をしたり、仲の良い友達と遊んだりと、好きなことを通して社会との関わりを持っています。

家の中では、お絵描きや工作、読書、ピアノ、書道、裁縫、プログラミング、お菓子作りなど、自分の学びたいことを自分のペースでとことん学び、家族や主治医、療育機関の支えを受けながら、充実した日々を過ごしています。

子ども達は毎日がとても楽しいようで、「ママ今日も楽しいことを沢山出来たね。幸せだね。」と一日を振り返りながら、毎晩眠りにつきます。2人とも笑顔が増え、娘の場面緘黙症の症状も少しずつ良くなってきています。

2022年12月 

代表:片山 キャサリン沙織